
昭和京都名所圖會 巻三 150頁 比叡山延暦寺

昭和京都名所圖會 巻三 168頁 横川
昭和京都名所圖會は、郷土史研究家の竹村俊則が新撰京都名所圖會に引き続いて執筆した昭和の名所図会。昭和55年(1980)より刊行が始まり平成元年(1989)に完結している。
竹村俊則の経歴については繰り返しとなるので、新撰京都名所図会 巻1 (東山の部)を参照ください。
詩人の臼井喜之介が経営する白川書院から発刊されていた月刊誌「東京と京都」に、竹村が連載を開始したのは昭和32年(1957)6月号であった。東福寺より始まり、翌33年(1958)6月号の延暦寺 横川までの13回分を「新撰京都名所圖會」巻一として、昭和33年(1958)10月1日に刊行された。その後も執筆は進み、巻六を昭和40年(1965)1月10日に出している。当初、全六巻構成で、巻末に索引が掲載される予定であった。しかし宇治、綴喜、久世、相楽各郡の記述量が大幅に増えたことで、同月15日に索引が巻七として出すこととなった。
以上のように7年余に渡って、竹村は「新撰京都名所圖會」を書き続けていった。当時の日本は高度成長時代に入り、町の風景も大きく変わりつつあった。「新撰京都名所圖會」が完結してから6年経た昭和46年(1971)に巻四の第五版が発行されている。竹村はこの巻のあとがきを下記のように全面的に書き換えている。
あとがき
「十年一昔」といわれるように本書第四巻を執筆してから早や十年に及ばんとしている。十年のあいだに都市は大きく変貌した。本書の中にも訂正しなければならぬ箇所がいくつかある。例えば寺町の妙満寺(一四頁)は昭和四十四年頃に左京区岩倉幡枝町に移転し、専修寺別院(一六頁)も塔頭とともに右京区御室その他に分散し、そのあとは広大な駐車場になってしまった。また壬生寺(一一五頁)の本堂は昭和三十七年七月、失火によって本尊地蔵菩薩坐像(重文・鎌倉)とともに消失し、神泉苑(七八頁)の客殿・書院も昭和四十四年十二月末に焼失した。今では本書によってのみ、ありし日の面影をしのぶよりなくなった。さらに四条大宮(一二二頁)や四条烏丸(一三六頁)など市中の景観中にあっても現在とは大いに変ってしまったところがあって、本来なれば再版の都度、これらの箇所は訂正さるべきはずであるが、本書の目的は昭和三十年代の京都のありさまを記録することにあるため、これは一応このままとし、訂正加筆することはやめた。他巻においても同様である。この点読者は筆者の意を諒とし、御寛恕願いたい。いずれ稿を改めて訂正増補をしたいと思っている。
昭和四十六年五月 相も変らぬ日暮の陋巷竹蘆庵に於いて
俊 則 しるす
竹村は「新撰京都名所圖會」の部分的な改訂を断念し、このまま昭和30年代の京の姿を記録した書として保存しておくこと、そして大幅な増補改訂は別の書とすることを既に決めていたことが分かる。しかし昭和49年(1974)臼井喜之介が急死し、同54年(1979)には白川書院自体が深刻な経営難から自主廃業になっている。そのため白川書院からの新刊発行の可能性は断たれた。
竹村は昭和40年(1965)に「新撰京都名所圖會」を完結した後の昭和43年(1968)に角川文庫の都名所図会 上下巻の校注を行い、昭和51年(1976)には同書の新版も手がけている。この他にも日本名所風俗図会の京都の部分(第七巻と第八巻)の編集、校注そして解説を担当している。
自主廃業となった白川書院に替わって、「昭和京都名所圖會」の刊行は駸々堂出版によって行われることとなった。この新たな名所図会は「新撰京都名所圖會」での反省に立って行われている。明治以降の近代化の足跡を記述するために加えられた現代建築や都市機能の陳腐化が想像以上に早かったため、「昭和京都名所圖會」は近代よりも徳川時代以前に重心を置き、名所案内というよりは名所考証の趣を強めている。そして前者の挿画が本文の中に埋め込まれ、絵の大きさが制限されていたのに対して、後者は独立したページに配されるようになる。1頁あるいは見開きを利用することで鳥瞰図の細部まで認識できるようになっている。鳥瞰図は「昭和京都名所圖會」のために全て描き直している。
また、「昭和京都名所圖會」は縦二段組から縦一段組になり、下部に脚注を設けられるように改めている。これは雑誌での連載が無かったこともあり刊行本として読み易さを優先した結果である。この紙面の変更により、より詳細な情報すなわち交通アクセス、出典や参考写真を多く用いることが可能となった。しかしその反面、鳥瞰図以外の挿画が減少し書籍としての味わいが失われた感もある。
昭和55年(1980)に洛東-上から始まった「昭和京都名所圖會」は平成元年(1989)の南山城を以って完結する。巻六のあとがきで竹村は以下のように述べている。
平塚瓢斎も同書にならって<幕末に『花洛名勝図会』を著わそうとしたが、東山篇のみを刊行しただけで、他は実現するに至らなかった。
その後、明治・大正・昭和に至るまで『都名所図会』に匹敵する名所案内紀は、世に刊行されることはなかった。いずれは誰かが執筆するだろうと期待はよせられたが、一向に執筆するような気配はみられなかった。
その理由は後日になって分かったことであるが、この作業は労多くして報われることが少なく、賢明な人のやるべきことではないということである。
それにも拘らず、自らすすんで決行しようとした動機は、郷土に対する報恩の一言に尽きる。
大正生れのものは、今次の大戦で大なり小なりに犠牲を強いられたが、京都生れの筆者は幸い戦火をこうむることもなく、無事平穏にすごすことができたのは、まったく京都に済んでいたからである。
竹村俊則の2度に亘って昭和の京都の名所図会を纏めるに至った本質的な動機が伝わる。この後、竹村は全5巻の「今昔 都名所図会」(京都書院 1992年刊)で名所図会と現在の風景の比較を行っている。自ら描いた鳥瞰図や挿画は一切使わず、オリジナルの竹原春朝斎の挿画に5人の写真家の作品を添えた編集となっている。また好評だった鳥瞰図の方は、平成3年(1991)に淡交社から「図会 京都名所100選」という形で出版している。
■ NDL-OPAC (国立国会図書館雑誌記事索引)
| 書名 | 昭和京都名所図会 3 (洛北) |
| 出版地 国名コード | JP |
| 出版地 | 京都 |
| 出版社 | 駸々堂出版 |
| 出版年 | 1989 |
| 大きさ 容量等 | 326p ; 22cm |
| 注記 | |
| ISBN | 4397501297 |
| 価格 | 2678円 (税込) |
| JP番号 | 90005909 |
| 巻次 | 3 (洛北) |
| 出版年月日等 | 1989.7 |
| 件名 キーワード | 京都市--案内記 |
| NDLC | GC156 |
| NDLC2 | |
| NDC 8版 | 291.62 |
| 対象利用者 | 一般 |
| 資料の種別 | 図書 |
| 言語 ISO639 2形式 | jpn : 日本語 |
| NDL-OPAC URL | http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002011962-00 |
■ 目次
| 0145 勝林院 | 130頁 |
| 0146 (本堂(証拠阿弥陀堂)) | 132頁 |
| 0147 (問答台) | 132頁 |
| 0148 (銅鐘) | 132頁 |
| 0149 (石造宝篋印塔) | 132頁 |
| 0150 (梶井宮墓) | 133頁 |
| 0151 (法華堂) | 133頁 |
| 0152 宝泉院 | 133頁 |
| 0153 (袈裟かけ石) | 133頁 |
| 0154 (法然腰掛石) | 133頁 |
| 0155 (熊谷腰掛石) | 134頁 |
| 0156 (熊谷鉈捨藪) | 134頁 |
| 0157 大原和田石仏 | 134頁 |
| 0158 寂光院 | 134頁 |
| 0159 (建礼門院庵室址) | 137頁 |
| 0160 建礼門院大原西陵 | 137頁 |
| 0161 神明神社 | 138頁 |
| 0162 朧の清水 | 138頁 |
| 0163 良暹法師住房址 | 139頁 |
| 0164 芹生の里 | 140頁 |
| 0165 おつうの森 | 141頁 |
| 0166 真守鉄盤石 | 142頁 |
| 0167 江文神社 | 143頁 |
| 0168 (大原雑魚寝) | 143頁 |
| 0169 金毘羅山 | 145頁 |
| 0170 江文寺址 | 145頁 |
| 0171 江文峠 | 146頁 |
| 0172 古知谷阿弥陀寺 | 146頁 |
| 0173 (御杖水) | 148頁 |
| 0174 (禅公窟) | 148頁 |
| 比叡山・延暦寺 | |
| 0175 比叡山 | 152頁 |
| 0176 四明ケ岳 | 153頁 |
| 0177 (将門岩) | 154頁 |
| 0178 (蛇ヶ池址) | 155頁 |
| 0179 (千種忠顕碑) | 155頁 |
| 0180 (修学院経塚) | 156頁 |
| 0181 延暦寺 | 156頁 |
| 0182 東塔 | 159頁 |
| 0183 根本中堂 | 159頁 |
| 0184 文殊楼 | 160頁 |
| 0185 大講堂 | 160頁 |
| 0186 (鐘楼) | 161頁 |
| 0187 前唐院 | 161頁 |
| 0188 戒壇院 | 162頁 |
| 0189 阿弥陀堂 | 162頁 |
| 0190 法華総持院東塔 | 162頁 |
| 0191 山王院 | 163頁 |
| 0192 (弁慶水) | 163頁 |
| 0193 浄土院 | 163頁 |
| 0194 (書院) | 163頁 |
| 0195 無動寺谷 | 164頁 |
| 0196 西塔 | 165頁 |
| 0197 法華堂・常行堂 | 165頁 |
| 0198 椿堂 | 165頁 |
| 0199 釈迦堂 | 165頁 |
| 0200 本覚院 | 166頁 |
| 0201 相輪橖 | 166頁 |
| 0202 (弥勒石仏) | 166頁 |
| 0203 居士林 | 167頁 |
| 0204 瑠璃堂 | 167頁 |
| 0205 黒谷青龍寺 | 167頁 |
| 0206 横川 | 167頁 |
| 0207 横川中堂 | 167頁 |
| 0208 四季講堂(元三大師堂) | 168頁 |
| 0209 元三大師廟 | 168頁 |
| 0210 根本如法塔 | 168頁 |
| 0211 (如法水) | 169頁 |
| 0212 (俳人虚子塔) | 169頁 |
| 0213 秘宝館 | 169頁 |
| 0214 恵心堂 | 170頁 |
| 0215 飯室谷 | 170頁 |
| 0216 安楽律院 | 171頁 |
| 岩倉・幡枝・市原 | |
| 0217 岩倉 | 178頁 |
| 0218 心光院 | 180頁 |
| 0219 実相院 | 180頁 |
| 0220 (銅鐘) | 183頁 |
| 0221 (阿弥陀仏石仏) | 183頁 |
| 0222 大雲寺 | 184頁 |
| 0223 (観音水) | 185頁 |
| 0224 不動ノ滝 | 185頁 |
| 0225 (智弁僧正墓) | 185頁 |
| 0226 (実相院宮墓) | 185頁 |
| 0227 (四面石仏) | 185頁 |
| 0228 冷泉天皇皇后岩倉陵 | 185頁 |
| 0229 石座神社 | 188頁 |
| 0230 山住神社 | 189頁 |
| 0231 尻叩き祭 | 189頁 |
| 0232 岩倉三面石仏 | 189頁 |
| 0233 藤原藤房遺髪塔 | 189頁 |
| 0234 (芭蕉句碑) | 191頁 |
| 0235 万年ケ岡御茶屋址 | 191頁 |
| 0236 岩倉具視幽棲旧宅 | 192頁 |
| 0237 目無地蔵 | 194頁 |
| 0238 小倉山城址 | 194頁 |
| 0239 長源寺 | 194頁 |
| 0240 聖護院長谷殿址 | 195頁 |
| 0241 解脱寺址 | 196頁 |
| 0242 藤原公任山荘址 | 196頁 |
| 0243 小野皇太后山荘・常寿院址 | 197頁 |
| 0244 八塩ノ岡 | 199頁 |
| 0245 木野 | 200頁 |
| 0246 幡枝 | 200頁 |
| 0247 栗栖野瓦窯址 | 202頁 |
| 0248 幡枝八幡宮 | 202頁 |
| 0249 針神社 | 203頁 |
| 0250 (石清水) | 203頁 |
| 0251 圓通寺 | 203頁 |
| 0252 (庭園) | 204頁 |
| 0253 妙満寺 | 206頁 |
| 0254 (仏舎利塔) | 206頁 |
| 0255 (安珍・清姫の鐘) | 206頁 |
| 0256 (雪の庭) | 207頁 |
| 0257 (中川ノ井) | 207頁 |
| 0258 (俳人瓦全墓) | 207頁 |
| 0259 更雀寺 | 210頁 |
| 0260 (桶取地蔵) | 210頁 |
| 0261 雀塚 | 210頁 |
| 0262 市原野 | 211頁 |
| 0263 二軒茶屋 | 212頁 |
| 0264 小町寺 | 212頁 |
| 0265 篠坂 | 214頁 |
| 0266 恵光寺石仏群 | 214頁 |
| 0267 厳島神社 | 215頁 |
| 0268 帰源寺 | 215頁 |
| 0269 藤原惺窩市原山荘址 | 215頁 |
| 0270 専修寺 | 218頁 |
| 0271 福富毘沙門堂 | 218頁 |
| 0272 静原 | 218頁 |
| 0273 静原神社 | 219頁 |
| 0274 烏帽子儀 | 219頁 |
| 0275 補陀洛寺址 | 219頁 |
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